読書

本ってなかなかいいもんだ

どうも、kuro(@kuro28493045)ですm(_ _)m

今でこそ暇な時、つまんない時、困った時等色々なシーンで本を読むようになったけれど
学生時代は活字の本なんてほぼ読まなかった。活字はすぐに眠くなってしまうし何より、

絵がないからすぐ飽きてしまっていた(-“-)

人間、わからないもん。

本っていいもんだなぁと思うようになるなんて

活字を読むようにったのは24歳の頃。その時までほとんど本なんて読んで
こなかったから、なんかすごく鮮明に覚えてる。個人宅の訪問営業をしている頃かな。

もし興味ある人いたらプロフィール、読んでもらえると。

当時は何か自分に欠けているものを補う、もしくは自分が欲しているなにかを見つけることを目的として本を読んでいたように思う。

営業始めた当初は全然取れなくて悩んでばっかだった。
今でも本を読む目的としてそれはあったりもする。もちろんそんなちゃんとした
理由ばかりで本を読むことはないけれど。

それをきっかけに本を読むようになったけれど読んでいるうちにわかったこととゆーか
感じたことがある。

本を読むのって娯楽だったり、考え方や知識を得られるだけじゃなくて自分の気持ちを開放してくれたり、上手く言葉にできないもやもやした思いを代わりに言葉にしてくれたりもするということ。

自分で文章書いてるんだけど、なんか新手の宗教の勧誘文句みたく感じなくもない(^-^;

俺が思うに「気持ちの開放」ってのは自己受容のことだと思う。
普段の生活の中、仕事や人間関係で

「これって実際はこうだよなぁ、絶対。みんな、そうは感じないんだろうか・・」とか
「これって理不尽だよなぁ。でもみんな我慢してるし、こう思うのはこらえ性がない
だけなのかな」

とか思ったり感じたりすることもあるんじゃないかと思う。
そ―ゆー時って心の中では通説とか一般論を重んじる自分と、ありのままの素直な感情を
出す自分が討論を始める。

「そんな風に考えちゃダメだ。みんな我慢している。そんなじゃ自分だけ外れちゃうぞ?
嫌だろ?」
「でも自分の正直な気持ちはこうなんだよ。・・・やっぱりおかしいのかなぁ・・・」

みたいな具合に。こーゆうのを葛藤と呼ぶんだと思う。
そんな時に助けとなる本に出会うと自分の考えを容認してくれたりその考えに問題点が
あれば、その考えに至った気持ちを汲んでくれた上で更に良くするアドバイスをくれたりもする。

その時ってなんか「ホッ」とするというか、安心するというか。
すごく気持ちがいい。

たぶん本を通じて自分自身がありのままの自分を認めることができた、受け入れることが
できたからではないかなと。これ、自己受容。これって気持ちの開放ではないだろうか。


続いて「上手く言葉にできないもやもやした思いを言葉にしてくれる。」

自分の気持ちや思いを上手く言葉にして表現できなくてモヤモヤしたことはないだろうか?
それが仕事であったり、今後の人生に関係するような出来事でのことであれば尚の事。

そういった気持ちって言葉にして表現できないと自分はすごく気持ち悪く感じる。

もしこのブログを読んでくれている人がいたとしたら既にわかっていると思う。
自分はボキャブラリーが乏しい。文章書くのも上手くない。自分の感情や思ったことを
言葉にすることも上手くはない。

少なくとも自分で上手いなと思ったことは一度もない。
文章書くのは嫌いではないけども。

自分自身、感じたり思っていることは確かにあるんだけどそれを言葉にしようとすると・・・

「あれ?なんか違うんだよなぁ・・・」みたいになることが少なくない。

これも本を読んでいると何気に自分の気持ちをそのまま表現してくれている表現や文章が
見つかったりする。そんな本や文章と出会った時は

「これだ、これ。本当にそうなんだよなぁ」 って一人で爽快感に浸る。
これが気持ちの開放と同じようにすごく気持ちがいい。

本って単純に読んで面白いのもすごくいいけれど、今の自分にない考え方や知識を得て
疑似体験ができるのも醍醐味だと思う。

おもしろいと思った本とかタメになった本の感想も書いていこうかなと今のところは
思っている。